泣いて緩む

昨日の夜はたくさん泣きました。

 

ずっとずっと気を張っていたのが緩んでいくのが分かりました。

 

退院してから母と祖母が来てくれて、そのあとに義母も来てくれて、とても助かったし感謝でいっぱいだったけれど、私は、やっぱり大丈夫な私でいたくて、心配かけたくなくて、どこかでがんばっている私でした。

だからかどうか分からないけど、入院してからずっと、家に帰ってからも眠りが浅くて何度も目が覚めて、バランスが崩れているような感じでした。

 

でも、昨日家族4人に戻って、ほっとしていたところに、いいタイミングで夫が近くに来てくれて触れてくれたので、スイッチオン。

急に涙があふれてきて、わんわん泣きました。

夫はただずっとそばにいてくれて、いっぱい泣いたらいいよ、と言ってくるので、ほんとにたくさん泣きました。

 

怖かった。まだ今も怖い。

大丈夫な私でいたかった。

もっと生きていたい。

ありがとう。もらった分を返したい。

 

そんなことを泣きながら感じていました。

 

そして、眠りについて、久しぶりにぐっすり。

ああ、やっぱり気持ちがたまっていたんだ、と気づきました。

 

一人で泣くより、誰かにそばにいてもらって泣くのはとっても気持ちがいいのです。

 

ずっとずっとつき合ってくれてありがとう。

いつもいつもありがとう。

 

 

 

 

体スイッチ

触れられると涙が出る

大丈夫!がんばれる!と一人で踏ん張っているときに、大切な人に触れられると、たちまち気持ちがあふれ出す。

その涙はうれしくて、あたたかい。

私の体スイッチは、昔は鈍感だった。

でも、心を抱きしめるということを学び続けて、たくさんの人から大切に心を抱きしめてもらってきたおかげで、私の体スイッチは研ぎ澄まされ、手からのぬくもりを感じた途端、涙がこぼれる。

もっというと、目と目が合うだけで…
そのぬくもりを思い出すだけで…
涙がこぼれる。

触れることで心まで触れることができる。


今回の入院や手術は、自分の体スイッチの敏感さをとっても感じたのでした。

入院と手術

3月5日、はっきりした結果が出て、6日に入院そして翌日手術を受けました。


手術前、もう先生にお任せするしかないし、覚悟は決まっていたし、気持ちは平気!で手術室に向かったのだけど…体が拒否してるのか、怖がっていたのか、気持ち悪くなってもどしてしまいました。
平気なふりしてなたぁ。ちゃんと、自分の声をきく余裕がなかったなぁ。

3、4時間の手術。開けてみないと分からないといわれてましたが、部分切除で済みました。
脇に転移もなし。

よかった。

でも、その後が大変でした。
いろんな管はついてるし、足もマッサージ器がついてるし、ずっと仰向けか右横向き。
背中と腰が…長い長い夜でした。

そして、今日は3日目。ずいぶん元気になってきました。傷の痛みもほとんどなく過ごせてます。

ずっとね、気が張ってたのか、泣けなかったんだけど、昨晩やっと涙が出ました。本を読んでて。

一度泣くと、ちょっとしたことで泣けてきました。
子どもたちもがんばってるんだろなぁとか、母にちょっと甘えられたなぁとか。
友達がくれるメールに私みんなに大事にされてるなぁとか。

泣くって大事です。
体の中でひとりで抱えていたものがこぼれる。
そうしたらホッとします。
そしてね、体までホッとします。ゆるみます。
心と体はつながってるんですね。

母に伝えるということ

しこりが悪性の可能性大といわれた次の日から、今度はどうやって母に伝えよう、というのが大問題になりました。

 

心配かけたくない。

びっくりさせたくない。

悲しい思いをしてほしくない。

 

そんな気持ちが大きい私は、もうどうしようでいっぱいで、ドキドキして申し訳ない気持ちでいっぱいで。

 

でも実際問題、入院している間手伝いにきてもらわないと家が回らないし、内緒にはできない。

むだな心配かけたくないから確定してから伝えよう、と思ってみたり…

でも、早く気持ちを伝えた方がよいかな、自分が母なら早く伝えてほしい、そして力になりたいと思うよな…と思ってみたり…

 

どうしようどうしようと一日が過ぎ…

 

次の日、意を決して電話しました。

 

意外と…母は母でいてくれて、大丈夫大丈夫といってくれる母の言葉に泣きました。

優しい言葉をかけられると、涙が出ます。

うれしくて。そして、申し訳なくて。

 

今回のことは、母に上手に甘えられない私への、神様の宿題なのかな。

 

まずは言えた。一歩進めた。

 

友人がね、

心配かけてごめんなさい

もあるけど、

心配かけるけどよろしくね

もあるよね

と教えてくれました。

 

後で回復して安心を返せばいいことも。

 

すぐに申し訳ない気持ちに乗っ取られるけど…

その言葉を思い出しては、少しほっとした気持ちになっています。

 

 

 

 

 

発見

2月16日

年に一回経過観察に行っている乳腺外科で、ほぼ悪性でしょうという腫瘍がみつかりました。

 

前から、良性のしこりは何個かあって、だいぶ前からしこりは触れていて、いるなとは思ってはいたものの、いつもの良性のやつね、と思っていました。

痛みもたまにあって、でも、ホルモンの影響かな、と思ってました。

11月に診察してもらったときも、変わらないねと言われたんだけど。

 

意外に冷静に先生の話をきいて、追加の検査もして、入院&手術の予約もして。

 

病院をでてダンナにも電話をし、意外と冷静に伝えて、でも「早く帰るね」と言ってもらって急に涙がでそうになりました。

 

家に帰って、ひとりでいると怖くて、不安で、そして申し訳なくて。

 

子どもたちやダンナが帰ってきて、一緒にいると少しほっとして、それと同時にごめんねもあふれてきました。

そばで一緒にいてくれる人がいる。ひとりじゃない。

 

よく分からない興奮と怖さと不安の中、その日は眠りにつきました。

 

 

 

 

ほんとの気持ち

私は保育園で勤務し、週3回ほどフリーの保育士として担任の先生の代替として入っている。

色んな子どもたちに出会うのだけど、どうにもこうにも一人でがんばりすぎて、にっちもさっちもいかなくなっている子たちがいて、私はそんな子たちを目の前にして、子どもたちのけなげさに切なくてたまらなくなる。

 

大人に頼ればいいのに、今ここで泣いたり甘えたり文句を言えればいいのに・・・、それができなくて、一人きりでなんとかしようとして、おかしな行動になってしまったり、乱暴になったり・・・。

 

ほんとは今泣きたかったよね、悔しかったよね、さみしいんだよね。

ほんとは今甘えたいだけなんだよね。

ほんとはそばにいてほしいのに、あっち行けっていっちゃうんだよね。

ほんとは仲良くなりたいのに、そっぽ向いちゃうんだよね。

ほんとはちゃんとやりたいのに、どうせってすねたくなるんだよね。

 

気持ちはとってもとっても分かって、だからとても切なくなる。

そして何とかしてあげたいのに、何とかできない自分がいて、そんな自分がふがいなく、ごめんねが湧いて来る。

できるときは触れてみる。体から気持ちがあふれてきて、そんな気持ちを聴いてあげたいのに、状況が許さないことがほとんどで、中途半端な受け止め方しかできない。

 

困った子じゃなくて、ほんとは優しくて頑張り屋さんって知ってるよ。

乱暴な子じゃなくて、ほんとは友達思いで賢い子って知ってるよ。

 

私にできることは、ほんとの気持ち知ってるよ、と思ってそばにいること。

でたらめなことをしようとした時には、ちゃんと止めてあげること。

 

一人だけで頑張らなくていい、まだそんなに小さいのだから大人を頼っていい。

できることは少しかもしれない。

でも、少しでも私の思いが届きますように、と明日も子どもに向き合おう。

 

 

 

 

 

 

 

誕生日に寄せて

もうすぐ息子の13回目の誕生日。

誕生日が近くなるこの時期、泣き虫の私はさらに涙もろくなります。

 

1才の誕生日を迎えた頃、もしかしたら悪性腫瘍の可能性があり、来年の誕生日はお祝いできないかもしれない・・・と思ったこと。

6才の春に頭を打って、救急車の中で意識が薄れていく息子を目の前にして何にもできない自分がいたこと。

今思っても胸が苦しくなって、あの時の恐怖にひきずりこまれそうになります。

あの時はただ必死にできることを探して、そのエネルギーで立っていた、そんな感じでした。

 

 たくさんの助けがあって息子は今も元気です。

ああ、よかった。

元気で生きていること、それだけで十分、と思い出します。

日々、イライラしたり怒ったり、目の前の結果を出すことに躍起になって追い立てたり・・・そんなことが多いけれど、今こうやって笑ったり泣いたり怒ったりしながら一緒にいられること、それが幸せなんだと思い出します。

大きくなったな。

優しくて感性豊かで素直で、すてきな息子です。

ありがとう。

 

あの時の恐怖。

泣いてしまったら自分が崩れてしまいそうで必死に踏ん張っていたこと。

そして今元気でいることの幸せ。

色んな気持ちに浸って感じながら、また今年も誕生日をお祝いしたいと思います。